現在進行中のプロジェクト
[3] 「軽井沢~森に暮らす~プロジェクト」→「森の再生」から「暮らしの再生」へ
2011年3月11日のあの事故の半月後、軽井沢に「拠点」を移すことを決めました。
■■新たな拠点とは■■2011年3月
■「拠点」とは生活拠点であり仕事の拠点でありそれらが一体となってどこまでが生活でどこまでが仕事か分けることのできない「暮らし」がある場所と考えています。
■それまでの生活と仕事は規則正しくはっきりと分かれていて生活をする時間と仕事をする時間は別々にあり生活をする場所と仕事をする場所も遠くに離れてしまっていました。
■そしてこのことを誰もが当たり前のように受け入れていたことに違和感を持っていました。
■少し前までの農民の暮らし、職人その他の人々の暮らしは家族といっしょに同じ時間を同じ場所で過ごすことは当たり前のことでした。
■そういう当たり前の家族の当たり前の暮らしを取り戻すにはどうすればよいのか?大きな課題ですが一歩一歩近づいていきたい、これがこのプロジェクトの目的です。
■
■・・・
■■3,11以前のこと■■2011年3月
■あの事故の数年前からすでに拠点探しはスタートしていました。
■その段階では軽井沢は候補から外されていました。軽井沢には何度も来ていたのですがもっと良い場所があるのではないかと思っていたのでしょう。
■他の候補地として長野県の蓼科、安曇野、栃木県の那須、埼玉県の秩父などに出かけて土地探しをしていました。
■新しい拠点とは、山とか森とかそんな自然の中に居て、そこに毎日の暮らし、生活と仕事があって、里山の風景の一部としてなつかしい故郷(ふるさと)のような場所。
■どこに行っても美しい森の風景がありその中にいるだけで幸せな気持ちにしてもらえるような場所ばかりでした。
■しかし残念ながら何かピッタリ来るものがなく、なかなか決断できないで時間だけが過ぎていくといった時期でした。
■それはそれぞれの場所がどうのこうのというわけではなく、おそらく気持ちがまだ準備できていなかったからだと思われます。
■そんな拠点探し故郷探しを十分楽しんでいました。
■
■・・・
■■そしてあの3.11が起こりました■■2011年3月
■代々木の事務所で一人仕事をしていました。
■けたたましい緊急地震速報が鳴り響きその後しばらく時間が過ぎて少しづつ床が揺れ始めました。
■急に大きく横揺れが来て大きく左右に揺すぶられるようになりました。
■必死で足を踏ん張って本棚やパソコンが倒れないようにしていました。
■とても長い時間揺すぶられていたように感じました。初めての経験です。
■ビルから急いで退去して近くの明示神宮に避難しました。
■携帯のワンセグテレビを見て驚愕しました。
■その夜は事務所に泊まって次の日の朝、JRが動くのを待って自宅のある埼玉に帰りました。
■そして、福島であの事故が起きてしましました。
■刻一刻流されるテレビのニュースにくぎ付けにされ、刻一刻絶望的な気持ちになってしまいました。
■その時の心の動きはどんなものだったか整理できません。
■少なくとも関東から東北方面のこれまでの豊かな緑の大地は暗い雲に覆われたように灰色に塗り込められてしまいました。
■もうその事は無かった事にしたい、心が閉じてしまうような感覚になっていました。
■
■・・・
■■仮の拠点探しを急ぐ■■2011年3月
■その場から逃げ出したいという弱気な気持ちと、新しい何かをしないといけないのではないかという前向きな気持ちが共にあったと思います。
■それをきっかけに緊急避難的な判断として新たな拠点を探す作業に入りました。
■数年前からの拠点探しが復活したとも言えますが、その時とは全く異なった気持ちで動くことになりました。
■改めてまずは軽井沢から拠点探しをスタートしてみようと決めました。とにかく「決めた」のでした。
■東京と埼玉が仕事と生活の拠点でしたので交通の便から考えても軽井沢が一番の候補地であることは間違いなかったのですが、
■その当時は「軽井沢といえば別荘地」あるいは「軽井沢といえば観光地」というようなイメージしかないような場所でした。
■別荘暮らしではないもっとその土地に根付くような次の世代に夢を託せるような拠点を探したいと思っていました。
■生活し仕事をする場所として軽井沢はどうなのかという捉えどころのない疑問というか不安はありました。
■そこで、やってみて上手くいかなかったら再度その時に考えよう、軽井沢は取りあえずの拠点としてもっと良い場所があればそれを次の拠点として移っていけばいいじゃないかと考えました。
■それほどその時は急がなければ前に進まなければという強い思いがありました。
■同時に代々木にあった事務所を閉じて埼玉の自宅に移転させることも決めました。
■そのような選択ができる環境にあったことは幸せな事でしたがそれよりも家族のそばにいることの大切さが優先されました。
■拠点とは、いつも家族がいっしょにいられる場所、という思いから考えていました。それって・・・故郷(ふるさと)づくり・・・ってことなのかなぁ、と気が付いてきました。
■その後、事務所の移転は7月中に完了しました。30年以上の実務で蓄積した資料、書籍などは思い切ってほとんど処分しました。
■
■・・・
■■賃貸物件を探す■■2011年3月
■2011年3月、軽井沢に拠点を移すことを「決めた」その日のうちに今度は仮の拠点を探すことになりました。
■最初は借家暮らしから始めてその間に他の様々な情報を集めることにしました。
■貸別荘の情報と不動産屋さんの情報をネットで探しました。
■いくつかの候補を挙げていくつかの不動産屋さんに電話連絡を入れました。
■軽井沢は意外と賃貸物件の情報が少なく選択肢があまりありませんでしたので逆に選ぶことにそれ程悩むこともなく軽井沢にファーストコンタクトをとることができました。
■地元のある小さな不動産屋さんのホームページに載っていた物件でとても間取りが良さげな貸別荘が目に留まりました。
■その間取りを見つけた時はこれしかない、なんでこんなに素敵な別荘が賃貸にでているのだろうかと思えるくらいでした。
■早速電話を入れて問い合わせしたところよくある話なんですが、先客がいてその客のキャンセル待ちということになってしまっているようでした。本当にこういうことってよくあるんですよね、不思議なくらい。
■普通ではここで、じゃあ・・・、ということで他の物件を探すことになるのでしょうが、この時はこの物件をのがしてしまうと他に気に入った物件は見つからないような感じがありました。
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■・・・
■■次の日、軽井沢現地に行きました■■2011年3月
■不動産屋さんに「急いでいてすぐにでも決めたいと思っているのでキャンセル待ちで構いませんから明日現地で物件を見せて下さい」と少し強引にお願いしました。
■軽井沢の事務所で打ち合わせをして現地を案内してもらえることになりました。
■千ヶ滝の別荘地の中でも標高の高い一番奥の方にその別荘はありました。
■こじんまりとしているのですが質の高さが感じられる素材が使われ間取りも家の中心に薪ストーブがあり、そこはリビングに面して空間は吹抜けになっていました。
■不動産情報として簡単な間取りしかみていなかったのですが、イメージしていたもの以上でしたのでやっぱり気に入ってしまって、これしかないと思ってしまうのですが、
■こういう場合にはよくあることで、先客が一歩違いで契約申し込んできました、というケースを心配していました。
■その先客の方は同じその不動産屋さんの別な物件も気に入っていてその時点ではどちらにするか迷っている、という情報を不動産屋の担当者さんから聞くことができました。
■これはチャンスだ、と。
■その時点では、この千ヶ滝の物件しか見ていなくて他の物件はホームページの間取りの情報だけで判断していましたが、先客の方が気に入っているもう一つの物件もチェックはしていました。
■千ヶ滝の物件よりも床面積も大きくウッドデッキも広くて立派な感じでなおかつ家賃も安い設定になっていました。
■場所も旧軽の方で土地も広く高級別荘地内のようでしたので先客の方が迷うのも無理はないという物件でした。
■千ヶ滝の物件は築5年rということで、家具、調理器具、食器、寝具他チェーンソーからバーベキューセット、お掃除道具まで完璧にそろっていました。
■いろんな事柄が頭を巡っていましたが何とか今日中に話を決めておかないと後悔することになるのではと考え、
■不動産屋さんに今すぐにでも契約できる用意があることを伝え今日申し込みなり仮契約なり取り交わして帰りたい、と事務的に交渉しました。
■埼玉でのファーストコンタクトからほぼ24時間という早さで最適な貸別荘を決めることができました。不動産屋さんに感謝です。
■その後は書類上の手続きで何度か不動産屋さん及び貸主さんとやり取りをして無事本契約を結ぶことができました。何とか5月の連休前には引っ越しができそうです。
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■■軽井沢の貸別荘に引っ越し■■2011年4月
■2011年4月、連休前に無事引っ越しをしました。
■家財道具が全て揃っていましたので簡単な引っ越しで助かりました。軽井沢の
しまむらさんとつるやさんで買い物をしたら全部そろってしまいました。
■つるやさんの軽井沢店がすごいお店だということをその時知りました。
■連休前ということもあり別荘の住人さんなのでしょうがすごい数のお客さんでごった返していました。買い物カートの中身を見てビックリです。
■これでもか、というくらい高級食材に持ちきれないほどのワインなどを皆さんが買い込んで車に積み込んでいました。
■そしてその車という車がまた高級車ばかりという東京でもなかなかお目にかかれない光景でした。
■それまでにいろいろと不動産情報を集めていたとき、そこには「スーパーつるやから車で何分」という情報が必ずついていました。
■土地の面積と価格と同じくらいの重要性がそこには発見できました。
■何のことはない、「スーパーつるや」が軽井沢の中心なのだとその時気が付きました。
■軽井沢の生活はしばらくは週末住宅としての利用となりそうですが、いつでも住める場所を確保した安心感がありました。
■埼玉では計画停電も続いており余震も未だ収まっていませんでしたので、これで少し落ち着いた生活に戻っていけるように感じ、一安心です。
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■■軽井沢での仮の暮らし■■2011年5月
■いよいよ千ヶ滝の別荘を仮の拠点として軽井沢での生活が始まりました。生活に慣れることから始めて仕事の方も少しづつできる環境をつくっていけたらと考えていました。
■春夏秋冬1年を通してどんな経験ができるのかとても楽しみに次のステップに向かって新たな情報を集め始めました。
■貸別荘は秋までの半年の契約にしました。更新は可能だということですが一か所に落ち着くよりは別な場所も試してみたいという気持ちもあり、そう決めてスタートしました。
■貸別荘のカギを不動産屋さんからお預かりして最初に大掃除をしました。
■GSのマツヤさんにオイルを運んでもらいオイルタンクを満タンにしました。
■テレビが映らなかったので不動産屋さんに連絡してテレビの修理業者さんに来てもらいました。
■薪を運んでもらい試しに薪ストーブの燃やし方を教えてもらいました。
■フリーペーパーを参考に食事をする場所を選んであっち行ったりこっち行ったりして楽しんでいました。
■軽井沢近辺にある温泉浴場も一通り巡って試してみました。
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■■プロジェクトの本題にかかる■■2011年5月
■日常的なことが落ち着いてきたところで、プロジェクトの本題にかかっていきます。
■土地をどうするか?どのくらいの広さが必要なのか?
■それらの場所をどこにするのか?
■どうやって探すか?
■建物をどうするか?
■このようなことを考えながら情報集めは進んでいきます。
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■■3.11の前の土地探しのこと■■2011年
■3.11の起こる数年前に一度軽井沢で土地探しをしたことがありました。
■その不動産屋さんは駅前で入りやすかったのと担当者が割と親身になって相談にのってくれた感じで好印象を持っていました。
■その時は軽井沢の全般の不動産情報を教えてもらいつつこちらの希望に沿った物件をいくつかチラシで紹介してもらうにとどめ、実際の土地は見ませんでした。
■それでも大体の相場と面積的なところは把握できました。
■その後、軽井沢と東京とで情報のやり取りをメールで何回かしました。
■ただその時はこちらのイメージがまだできていなくていくつかの物件を紹介してもらってもきちんと判断できないような状況だったと思います。
■途中、担当者さんが退社して田舎に帰ってしまったということで別の担当者さんに代わりましたので改めてこちらの希望を伝えいくつか土地をピックアップしてもらいました。
■その間はメールで物件のチラシのやり取りだけで実際に土地を見に行くということはありませんでした。
■おそらく不動産屋さんにとっては何かつかみどころのないよくわからないお客だったと思います。
■その後少し熱が冷めてしまい、お互いの連絡が遠のいた状況でした。
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■■再び駅前の不動産屋さん■■2011年5月
■最初に訪問した不動産屋さんは以前すでに土地を紹介してもらったことがあるところでした。
■その不動産屋さんの事務所に数年ぶりの再訪問でした。
■連絡を入れないで突然訪問したのですがメールでやり取りをして頂いていた担当者の方がたまたまいらっしゃったので話がスムーズにできました。
■事務所でまずチラシを見て比較検討、その後良さげな物件を車で案内してもらいます。
■毎週末には必ず物件をいくつか案内してもらいました。
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■■軽井沢の高級別荘地を巡って■■2011年6月~10月
■このころになると軽井沢でのエリア的な違いが少し分かってきていました。
■新幹線というか信濃鉄道の南側は傾斜もなだらかで割と温かい感じで住むには住みやすいかな、という感じ。その時は冬に大雪が降るとは考えが及んでいませんでしたが。
■南ヶ丘別荘地というエリアがあり見て回ると立派な別荘が雰囲気よく立ち並んでいました。著名な方々が多く別荘を所有しているとの事でした。
■ほぼ平坦地で傾斜が無いのが軽井沢っぽくなくちょっと残念でしたが、このエリアを選択する人にとってはこの特徴が南ヶ丘の良いところなのだと思われます。
■広大なプリンスリゾートが隣接していて、ゴルフ場が隣、アウトレットもすぐ、もちろんプリンスホテルも、といった好立地です。
■高級な別荘地には必ずと言ってよいほどホテルとかゴルフ場が隣接しているようです。
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■■鹿島の森別荘地■■2011年6月~10月
■鹿島の森は軽井沢の北の方に位置しおそらく広大な山を切り開いて開発された最も高級な別荘地だそうです。
■鹿島の森ホテルを中心にゴルフ場が隣接され森の中のリゾートエリアがまず建設されその後その周りに別荘地が分譲されていったと思われます。
■もちろんホテルですから誰でも自由にカフェとかランチは楽しめますので、何度か利用させて頂きました。
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■■旧軽エリア別荘地■■2011年6月~10月
■旧軽エリアは別荘地として初めて開発された場所という事で、ある意味軽井沢のシンボル的な場所でした。
■旧軽銀座という名前の商店街がありクラシックホテルの万平ホテルもありました。ホテルにゴルフ場はありませんでしたが鹿島の森ゴルフ場が近くでした。
■旧軽銀座商店街はきれいに舗装され歩き安いのですが、樹木が全く無く陽差しが痛いくらいで困りました。都会っぽいイメージにしたくて改修したのかと思いましたがこれではちょっと残念です。
■意外と地元の方々にとっては地元の良さが分かりにくいのかなぁ、とは感じていましたが何年か経ち世代交代が進めばまたなつかしい風景が戻ってくることを期待しましょう。
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■■高級別荘地について■■2011年6月~10月
■このように近隣の便利の良さと歴史的雰囲気から別荘地としても人気のエリアで価格的にもトップクラスという事でした。
■南ヶ丘(南原?)、鹿島の森、旧軽、それぞれ素晴らしい軽井沢らしい別荘地でした。高級別荘地としてトップ3だと思います。
■従って拠点としての候補地として検討することもなく、これらのエリアは別荘と別荘地を見学するエリアとなっていました。
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■■千ヶ滝別荘地について■■2011年5月~10月
■千ヶ滝別荘地については、仮の住まいで貸別荘をお借りして週末生活を過ごしていましたので、もちろん候補として検討をしています。
■貸別荘に行くたびに近くを散歩して自然の様子に触れながら周りの建物を観察し、どのような生活スタイル(暮らし)が出来るのか考えました。
■5月の新緑、夏の緑陰、10月の紅葉、そしてそれぞれの季節ごとに野鳥たちが樹の実を目当てにやってきます。季節がはっきり分けれていて軽井沢の最も魅力的な風景です。
■ここは広大な山を切り開き開発した分譲別荘地です。起伏が激しく車でもプリウスではきつい位の道路の傾斜がありました。
■定住されている方もいらっしゃいましたが冬は大変だろうなぁ、と心配になります。
■土地の傾斜がこのようにかなりきつい場合、道路を建設するためには出来るだけ等高線に沿って傾斜を吸収しながら道路を通していく事が、おそらく常識的な開発方法ではないかと思われます。
■ところがこのエリアはそれをほぼ無視をして直線で道路を建設してしまいました。敷地図面の上から定規で単純に線を引きました、とも見えます。
■傾斜がきつ過ぎてどうしても無理な場所は常識的な道路付けをしています。
■そのあたりは非常に古い森の雰囲気が残っていて、すぐそばに小川も流れ風景として完璧でしたが、
■そのエリアは敷地も大きく特別な方々が所有されていることは道路を散歩していてもわかります。
■一般の敷地は300坪くらいでしょうか、それほど大きくはなく道路に合わせて敷地も成型に区切られていました。それでも個人よりも法人の表札の方が目立っていました。
■残念ながら、こちらの千ヶ滝の別荘地も候補から外すことにしました。
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■■1000メートル林道エリア■■2011年6月
■中軽から追分にかけての国道18号線からあまり遠くない北側エリアが良さそうな感じがしていて、始めの頃はそのあたりを集中的に見て回りました。
■軽井沢には1000m林道と呼ばれるまさに標高1000mの等高線に沿って走る道路があります。
■道幅は狭いのですが両側をカラマツや広葉樹の森に囲まれた軽井沢らしい気持ちの良い風景が続き、この道路に沿ったエリアは敷地選びの第一候補として考えていました。
■その日は1000m林道沿いを不動産屋さんにご案内して頂きいくつか見て回りました。
■まだ軽井沢の事情に慣れていない者にはどの土地も自然な森の中で大きな樹木に覆われていて、野鳥が鳴いて木漏れ日などがキラキラ光っていたりすると、最高に素晴らしく感じられました。
■どんな敷地に案内されても最初からすぐに決めるようなことはしないつもりでいましたが、この場所に決めた、とうっかり言いそうになるのをぐっと我慢していました。
■その日は素敵な森のイメージを記憶に残しながら、一旦軽井沢を離れました。
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■・・・
■■何かちょっと違うかなぁ、という思い■■2011年6月
■不動産屋さんに紹介してもらっていろいろな土地を見て回っているうちにあることに気付きました。
■それは軽井沢には土地の大きさについての条例があり指定区域では最低土地面積が1000㎡となっているということ。
■従って見て回る土地はほとんど1000㎡よりちょっと大きいくらいの面積しかないこと。
そしてどういうわけかそんな土地ばかりを紹介して案内してくれること。
■隣に建物が立っていないときはわかりにくいのですが隣に建物が立っているときは1000㎡という土地の面積は意外と小さいということに気が付きました。
■東京や埼玉では建売住宅とか100㎡でも普通にあるので1000㎡は相当大きいはずだと思い込んでいました。
■そして私たちが探している土地はおそらく1000㎡くらいの土地ではないと気が付きました。
■しかし予算的にはけっこうぎりぎりの物件ばかりを紹介してもらっていたわけで、面積だけはもっと大きい土地が欲しいという要望は、こちらからなかなか言えませんでした。
■大きさ的には2倍とか3倍とかの土地面積が必要な感じがして少しあせりました。。
■私たちは大きな勘違いをしていたのではないか?このまま進むのではなく大きな方向転回をする必要があるのではないか、と思い始めました。
■これまでは不動産屋さんも駅前通りを中心に入りやすい感じのところが主でした。
■これではいけない、これからはもっと範囲を広げてもっといろいろな方面から情報を取りにいかないとだめだと感じました。
■相場通りの土地を相場通りの値段で買うお客さんをターゲットに仕事をしている不動産屋さんのところへ行けば、
■それはそのような物件しか出てこないのは当たり前のこと、ということかと今さら気付かされました。
■様々な方面から広く情報を集め見落としが無いよう用心深く検討を進める、と最初から考えていたはずです。
■が、物件を前にするとあっけなく最初の意気込みを忘れてしまうことに我ながら驚いてしまいます。
■場所と広さと値段、この3つが土地の3原則のようです。
■設定条件をもう一度考え直して、希望に一致する情報をもっと集めることにしました。
■
■・・・
■■改めて土地探しを考える■■2011年7月
■ネットの情報は以前から集めていましたがもう一度初心に戻って、まずはできるだけ大きな土地で予算に収まりそうな、そんな都合のよい土地に絞って探し始めました。
■土地面積が大きくなれば値段も高くなるというのは不動産の当たり前の原則ですが一概にそうとばかり言えないこともあるのではないかということに、考えが巡りました。
■それは建物が立ちそうもない急斜面とか、以前沼地だったような湿地帯で造成に大きな金額がかかりそうな土地、いわくありげなちょっと怪しい土地とか、当然ありそうに思えました。
■取りあえず怪しい土地でなければ条件は設けずまずは見てみることにして、土地が大きければまずは候補に挙げるという、ちょっと乱暴ですがその方針に切り替えました。
■さらに予算は当然あるのですが予算を考えすぎるとそういった物件の姿が見えてこないような気がして、思い切って予算のことも後回しで考えるように心がけました。
■
■・・・
■■新たな土地探し■■2011年7月
■軽井沢の道路を車で走っていますとちょくちょく「売地」の看板に出合います。
■不動産屋の名前と電話番号があった物件に何回かは問い合わせたりしましたが特に候補になりそうな物件はありませんでした。
■良さそうな物件が見つかった時には「売物件」の看板の不動産屋さんに直接出かけて行って詳細な説明を根掘り葉掘りうかがったりもしました。
■1000m林道の近くで結構広めの敷地で雰囲気もなかなかの物件があった時は看板の不動産屋さんに直接出向いて説明をしてもらいました。
■道路は狭かったのですが脇を小川が流れていてせせらぎの音が心地よく聞こえてきました。大きな広葉樹に覆われていました。
■その場所は耕作放棄地のようにも見えましたが「売物件」の看板がありましたので山林もしくは宅地として売りに出ていることは確かです。
■事務所へ行ってこの場所に興味があるのですが資料を見せてもらえないでしょうか、とお願いして敷地のチラシを見せてもらいました。
■売りに出ているのはその一部だけで全体は何人もの地主さんがいてそれぞれが全く別な所有者ですので全体をまとめて販売することは不可能ということでした。
■元は一人の地主さんが所有していた土地をバブルのころにいくつかに分割して別々に販売した土地の一区画を所有している小地主さんが今回売りに出しているということでした。
■がっかりしてしまうやらあきれるやらでともかく残念でした。
■土地を見た感じでは何人かで土地が分割されているようにはとても見えないような普通の一体の土地でした。
■バブルの頃に世間で渦巻いていた欲がこんなとこまで来ていたのかと、妙に納得してしまいました。
■よくよく聞いてみると軽井沢のバブルの頃の土地の値上がりは半端ではなかったようで異常でしたと当事者の不動産屋さんがいっていました。
■そして「兵どもの夢のあと」がいたるところに目には見えないけれども登記簿上はくっきりと残されているようです。
■
■・・・
■■土地探しの方向性を修正する■■2011年8月
■軽井沢の夏を満喫する暇もなく、こんなことではなかなか埒があかないという感じだったので、土地探しについて別な方向もあるのではないかと思い、再度整理してみました。
■この際、不動産屋さん以外にも手を広げようと思い軽井沢に住んでいる数少ない知り合いの方に連絡して協力をお願いしました。
■その方には地元の知り合いの工務店さんをご紹介頂きいくつかの物件を案内してもらいました。
■今度は初めから、条件としてできるだけ大きな土地を探していて予算はあまり気にしないで紹介して欲しいとお願いしました。
■結果、案内してもらった物件はけっこう広くて立派な敷地が多くすごく魅力的な土地もあってわくわくしながら見て回りました。
■ここでいいかなぁ、というような土地もいくつかあったのですが、やはり値段がオーバーしていたりして残念ながらちょっと手が出ませんでした。
■ただもう少し紹介してもらえれば都合のよい物件が出てくるかもしれないという希望の光がかすかに見えてきたことも事実です。
■やはり普通の不動産屋さんのルートでない別な紹介ルートでの物件は何か今までとは違うような感じでした。
■ここでちょっと土地探しのヒントを見た気がしました。
■その工務店さんだけでなくさらに手を広げて情報を集めたいと思い、伝手を頼って地元の銀行さんにもご紹介頂けないかお願いしてみました。
■ほとんどお付き合いのない銀行さんでしたが気持ちよく不動産屋さん2社をご紹介頂きました。
■これまでの土地探しのいきさつとか苦労話とかこちらの無謀な希望とかも全てお話しした上でのご紹介でしたので、期待値はぐんと上がりました。
■ご紹介頂いた2社ともネットでは探していない不動産会社でした。
■ 軽井沢には30社ほどの不動産会社があるようですが相当ネットでも調べたつもりでしたので意外な感じがしました。と同時に軽井沢の不動産の世界の奥深さも感じさせられました。
■いろいろな土地を案内してもらい、このころは車に長くつを乗せておいていつでも履き替えられるように準備もするようになっていました。
■そして土地のことも、土地とか敷地とか言わずにはっきり森を探していると宣言してお願いしました。
■家を建てるとか建てないとかでなくとにかく広い森を探すことに夢中になっていました。
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■・・・
■■やっと森らしい土地が現れました■■2011年9月
■毎週のように土地を見て回っているうちに本当に森としか呼べないような土地が目の前に現れてきました。
■それぞれ別々の不動産屋さんの物件でそれぞれ全く関連のない物件でした。
■一つ目の不動産屋さんの事務所でまず土地の概略を説明してもらいました。湯川の支流の川に沿って割と細長い敷地です。面積は十分大きく川に向かって大きく傾斜していました。
■敷地図を見ただけでも森に間違いないように思えました。期待できそうです。
■さっそく現地に案内して頂きました。やっぱり森でした。道路から敷地に入ってすぐに藪が行く手を遮るように生い茂っていました。
■自分の位置を見失うほど見通しが悪かったのですが、広さも十分で傾斜も思ったより緩やかで悪くないように感じました。
■樹木はクルミの樹が多く育っていましたが、それほど大きくもなく広葉樹も大木というほどではありませんでした。
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■■二つ目の不動産屋さん■■2011年9月
■二つ目の不動産屋さんの物件はいろいろ見て回った後で出てきた土地でした。
■その森も十分広く、傾斜も緩やかで道路からも近く非常に魅力的でした。
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■■やっぱり無理なのか■■2011年9月
■結局期待していた二つの物件も諦めることにしました。私たちの希望しているようなそんな都合のよい土地はやっぱり無理なのかと思い始めていました。
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■■希望の光は突然差してくるようです■■2011年9月
■その日もいつものように不動産屋さんの事務所で雑談をしていました。
■そういえば、と何か思い出したように話を切り出してきたのですが、以前何かの時にちらっと話の隅っこに出たことがある話だったのですが、そのことを思い出したようです。
■ただ以前に話が出た時も何か歯にものがはさまったようなはっきりしない言い方をしていたような記憶がありました。
■改めて話を聞いて地図で場所を説明してもらうとビックリ、こちらの希望通りの場所です。
■それもあっというほどの広さでした。そしてアッというような価格でした。そして崖地でもなく湿地帯でもなく何一つ問題はないようにみえました。
■が、しかし、やはり問題がありました。それもたったひとつだけ問題がありました。
■でもよく考えればこれだけの土地でこの価格で何も問題がない方がおかしいということはいろいろ勉強してきた私たちには当然だというふうに思えました。
■取りあえず行って見てみますか?ということで取りあえず見に行くことになりました。
■まさにそこは森でした。
■探し求めていた場所がそこにありました。
■私たちは一目見て気に入ってしまいました。季節はもうすでに秋になっていました。
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■■問題がありました。それもたったひとつだけ■■2011年10月
■しかしそういえばこの場所にはたった一つ何か問題点があるということでしたが、それはこの敷地に建物が建てられないというごくシンプルな問題でした。
■だから、こんなに申し分ない土地なのに誰にも利用されないで今まで残っていたということだったのでした。なるほど納得。これは納得せざるを得ませんでした。
■残念ながら諦めるしかないということは頭では理解できていました。なにしろ家が建てられない土地なわけですから。
■不動産業者としてもそのような土地は一般顧客には売ってはいけないと法律で定められている、という事でした。これは諦めるしかありません。
■が、しかし、なぜこのような土地が残ってしまっているのか?不思議といえば不思議です。その素朴な疑問を不動産屋さんにぶつけてみました。
■結局よく分からないという事でしたが、それでも過去何十年もの間この土地を巡って様々な人間が入り混じって、すったもんだがあったようです。
■いろいろ過去の経緯などのお話しを聞いても相変らず何か腑に落ちない違和感を感じていました。なんか変だなぁ、と。
■何か解決の糸口が見つからないか、と土地の周りをぶらぶらしていた時、ハッと気づいたことがありました。ただ半信半疑でもちろん確信があった訳ではありません。
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■■土地についてのすったもんだ■■2011年10月~12月
■そしてすったもんだがありまして
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■さらにすったもんだがありまして
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■土地の契約がほぼ間違いなく大丈夫だろうという処まできました。
⇒詳細は別紙でご報告します。
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■■やっと土地の契約へ■■2011年12月
■2011年12月年末、土地の契約が無事終わりました。
■土地探しをスタートして7か月。3.11からでも9か月が過ぎていました。長かったようでもあり、あっという間だったようでもあり。
■ただ、この契約は第一段階の契約で、実は第二弾の契約が年内に間に合わなく年越しとなってしまいました。
■土地家屋調査士さんの方の作業が想定外に時間がかかってしまいましたが、これも間違いないだろうというところまでたどり着いたようです。
■土地の問題を片付けるのと同時に、次の段階としてその場所を拠点に活動をしていくための会社を設立することに決めました。
■できれば年内にしたかったのですが会社の名前がどうしてもイメージが湧かなくって
取りあえず来年2月1日を目標に会社設立の準備を進めることにしました。
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■・・・
■■自然意匠の誕生■■2012年2月
■2011年が終わり2012年の新年を無事迎えることができました。感謝の一言です。
■2012年正月明け、新会社の名前が決まりました。
■2012年2月1日、株式会社自然意匠、設立。
[自然意匠]設立宣言
山があって森があって川が流れていて里山があって田んぼがありトンボが飛び交いカエルが合唱し子供たちが遊びながら家路を帰る、何十年か前には当たり前のように毎日見ていた風景を取り戻し未来の子供たちに手渡すために、私たちは会社を設立しました。
。。。故郷(ふるさと)の風景を見て美しいと思いなぜか涙がほほをつたう。自然の美しさと人の暮らしが織りなす絶妙な均衡。それらを実現するために全力で取り組むこと。そんな思いを込めて「自然意匠」と名付けました。。。
⇒会社概要=Company
■■そして光の無い窒息しそうな森と向き合う■■2012年
■光の無い窒息しそうな森、この森でどのように暮らしていけば良いのか?
■
■・・・
■■北側はアカマツ■■
■樹木は枝を広げることができず、上へ細く細く伸びていました。
■そのはるか下の方に小さな広葉樹がツルに巻き込まれ今にも窒息しそうになっていました。
■その中でも鳥や小動物やキノコなどは何とか生きていたようです。
■
■・・・
■■中央部はいろいろな広葉樹の雑木林風■■
■植物にとって光は全ての基本ですのでまずは地面に光が届くようにすることを考えなければいけません。
■
■・・・
■■南側は広葉樹の大木が密集して暗い森■■
■広葉樹の落ち葉が長年積り積もって豊かな腐葉土ができていました。そのためか北側と違って空気が湿っているように感じます。
■
■・・・
■■どのように間伐すれば?■■2012年
■いくつかの方法を検討しましたが、なかなか決まりません。
■
■・・・
■■間伐を決意する■■2012年11月
■2012年11月、森を間伐することに決めました。
■施業する時期としては樹木の葉が落ち切った11月末から年明け1月中ごろ雪が本格的に降る前がベストだということで、やっと思い腰を上げることに決めました。
■
■・・・
■■施業中■■2012年11月
■作業道を通すところから始まります。
⇒詳細は別紙でご報告します。
■・・・
■■間伐が終了■■2013年2月
■間伐が終了しました。森では明るい光が地面に届いています。特に冬で落葉樹も葉を落としていましたので敷地が見通せるようになりました。ただ広すぎるため森の全体像が把握できてはいませんでした。雰囲気がやっと感じられるくらいでした。
■
■つづく
⇒[4] 「軽井沢~なつかしい暮らし~プロジェクト」
■・・・
■■■日本の林業は時代遅れ?■■■
「森林業」・・・村尾行一著。築地書館。以下抜粋。
「ドイツの森と日本林業。スギ・ヒノキの木材栽培業から森のめぐみをていねいに引き出す総合森林業へ」
□日本で林業というと、それは「木を伐って、その跡に木を植えて、またその木を伐る」ことだ。こうした林業をドイツでは「ホルツツフト」(木材栽培業)といって時代遅れの遺物とみなす。
□ドイツでの林業とは「森林が持つ多機能の合自然的にして近自然的な利用」なのである。
□このような林業概念の根底にある考えは森林を単なる樹木の集まりではなく、あくまでも生態系(エコシステム)とする認識である。
□かくして森林は小面積の混交林になる。施業も材木の一本一本をきめ細かく観察しながら丁寧に行う単木施行でもって林業が営まれる。
□材木伐採にしても、その時々の需要にマッチした材木であって、しかもその伐採が森林生態系に有益な、最低でも無害な材木を選木して行う。
□だから森林を何年生で伐採するかを定めない。
□その結果、林業生産は時間的にも場所的にも分散して発生する多種木少量生産になる。
□これは森林の構造を「多状況柔軟即応態勢」型にすることでもある。